被災地訪問 ~11月のNHKラジオ放送へ向けて

2016年9月18日

 東京では台風の影響が懸念されていた9月8日(木)、東日本大震災の被災地を訪問しました。震災から5年という年月が経っても、被災地へ心を向けることを忘れずに寄り添い続けようという趣旨のラジオ番組が、今年も11月にNHKで放送予定となっています。昨年の放送に引き続き今回も番組をお手伝いする機会をいただき、その関連での被災地訪問となりました。

 今回は盛岡から釜石へ入り、そこからは三陸鉄道(南リアス線)とJR大船渡線に代わるバス(「BRT」と言われるバス高速輸送システム)に乗って被災地の今を見て参りました。三陸鉄道に乗ると、まるで登山電車にでも乗ったかのように景色が一望できます。東北地方へも台風が接近する予報でしたが、まだ穏やかな海が広がっていました。車内には運転手さんのアナウンスが流れ、震災当時の様子などを聞くことができます。途中、恋し浜(こいしはま)という駅があります。ここはホタテの産地で、ホタテの貝殻を絵馬にして願い事を書くことができるようになっていて、壁一面になるほどの貝殻(絵馬)がかけられていました。私も願いをこめて書いて参りました。

 三陸鉄道南リアス線の終点、盛(さかり)駅からはバスに乗り、大船渡、陸前高田などを通って気仙沼まで行きます。まだ鉄道の復旧とはいかず、線路ではなく道路、バスでの仮復旧となっているのです。ここからの景色は先ほどとは一変するようでした。見えるのは盛られた土、残念ながら復興が進んでいるとは思えない現実をまさに目の当たりにする思いがしました。山に近づくと少しずつ家が建ち並びはじめ、山のおかげで助かるということを実感しました。

 今回宿泊したホテルからは「奇跡の一本松」が見えました。もともとは海沿いに建っていたホテルを、少し山際に建て替えて復興したそうです。ここからの景色を思います。かつては7万本もの松があった先に広がる海、今は奇跡的に残った一本の松の姿をした、人々の希望がそこに凛と立っています。そして瀕死の松から命をつないだ苗木が育っているという話から、松ぼっくりを見ても「次の命につなげるもの」ということを感じます。つなげていくこと、伝えていくことの大切さ。かつて海のそばに住むのは危険だと伝承されてきたことが、便利な世の中になったために油断を生み、伝承が忘れられた頃に津波が来た、そう言わざるを得ないのだと思います。被災したまま残されている高校校舎には「絆 未来へつなごう 夢と希望」という垂れ幕がそのままありました。津波の爪痕との対比に、一層痛々しく感じました。

大船渡の仮設の屋台村は3月で終了し、移動しながら営業していくそうです。道路の復旧も一部ずつで、もどかしいものがあります。5年たってもまだまだ復興に時間がかかる、5年という歳月を思います。

 5年というと、年長さんが生まれて育った年月が重なります。人間の土台作りも上辺だけではなく丁寧にしていかなければいけない、そのための年月だと感じました。人生のなかでの土台の大切さ、この言葉が身に沁みます。あせってはいけません。最近の台風で震災後に作った防波堤が崩れ死者が出たことは記憶に新しいところです。誰も簡単に壊れるようなものなど作ってなく、いくら丁寧に作っても壊れてしまうことがある。小さい子どもの子育てに「丁寧さ」を大切にしなければならないことが重なるのです。
 大船渡や気仙沼はサンマが有名です。地元では今年もサンマが収穫できることを感謝していらっしゃることでしょう。サンマを通じて被災を伝えていきたいと、9月22日に東京タワーの催事で大船渡のサンマが振る舞われるそうです。目黒のサンマ祭りは9月4日に行われ、宮古のサンマで賑わったとか。行政をあげて皆に被災地を思い出してもらう活動が行われています。

 被災地でお目にかかるのは、1日1日を大切に生きている人たちばかりです。お年寄りのしわは笑みとともにあり、前向きに生きる姿からは逆に勇気をもらう思いがいたします。被災地域の若い人にはもっと、自分たちの言葉で伝承していくことに取り組んでほしいと願っています。便利な世の中になったことで薄れてしまった「伝承していくこと」ですが、自分の目で見て感じるものを多く持ち、それを自分の言葉で伝えていってほしいと思うのです。伝承という取り組み自体は様々な形で行われていて、例えば三陸鉄道の社長の一声で、震災当日の様子を詳しく伝える漫画が作られ、販売されています。こういった読み物も、現場に行くことでより一層の理解があり、当日のお話を伺うことの重さを感じました。
 東北から帰京し、お稽古場に集う小学生たちに被災地での話をしました。訪れた経験のある彼らは、熱心に耳を傾けていました。このように、経験があれば大人になってから何かがあった時に、優しさを他人に分けてあげられるようになるのではないか、そんな期待がうまれました。実際に被災地に行くことは容易ではなくても、東北産の食べ物を食べることならできそうです。そんな小さなことでも心を向け続けていく、まずはそれが大切なのではないでしょうか。

 被災地訪問の夜は、台風を警戒するブザーが鳴りっぱなしでした。被災者には不安を思い出させる、落ち着かない夜だったと思います。東京に暮らす私にも、「忘れてはいけないことを、便利だからこそ忘れてしまいがちになる」ことをもう一度念を押されたような、そんな台風の夜でした。復興が進まないもどかしさを感じさせる風景にも、田んぼはあり、青々とした稲が実っていました。それは生きる力を体現しているようでもありました。
 つなげていく、伝えていく。そこが何処であれ、今とこれからを生きていくうえで大切なことを、子ども達と一緒に考え続けていきたいと思います。

磯邊季里 @ 2016年09月18日 11:47 コメント: (0)

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