<こひつじかい> 凧揚げ・どんど焼き遠足

2017年1月17日

 風が吹く度に肌に刺さるほどの寒さを感じる1月8日(日)、凧揚げ・どんど焼き遠足に行って参りました。今回の遠足ではお正月恒例の凧揚げと、お正月飾りを燃やす伝統行事であるどんど焼きを体験します。1月8日と言えば、28年前に「元号法」に従い、昭和から平成に改元された日です。新しい年号に移行する報道があった昨今ですが、平成に生きてきた子ども達はどのように成長し、新年号を迎えるのでしょうか。
 さて、何枚も重ね着をし、普段よりも一回り大きく見える子ども達が、ご家庭からお正月飾りを持って集合場所にぞろぞろと集まってきました。重ね着のおかげか、持ち前のパワーか、あいにくの曇天にも負けない力強い挨拶をしてくれる子もいて安心しました。お見送りに来てくださったお父様やお母様にご挨拶をして出発です。電車とバスを乗り継いで会場である多摩川の河川敷、六郷土手を目指します。電車の中で子ども達はお正月のお話で盛り上がっていました。お餅やおせち料理をおいしくいただいたり、お正月遊びをするなどして、とても楽しく過ごせた様子でした。なかにはお母様から離れたためか泣き出してしまう子もいましたが、先生に言われなくても自らすすんでその子を励まそうとするお友達の姿が印象的でした。すすり泣く声、励ましの声、普段と変わらない甲高い話し声、蒲田行きの多摩川線のこの車両は、コーラスのように様々な音色で溢れていました。
 蒲田に到着したこひつじ合唱団は、颯爽とバスに乗り込み凧揚げ・どんど焼きが行われる六郷土手に向かいます。バスを降りると子ども達は目的地を目指して手を繋いでぞろぞろと練り歩きます。しばらく歩いていくと、遠くの方に人だかりが見え、足を進めるにつれて次第にそこが会場であるということ、そして櫓の迫力を感じるようになりました。遠目にもどんど焼きで燃やす櫓が大きいことは分かるのですが、櫓を目前にしてはじめて感じる迫力というものがありました。
 会場に着くとまず、子ども達はリュックをどんど焼きの近くに置き、お家から持ってきた正月飾りや紙袋を一思いに櫓の中へと放ります。しかしなかなか上手いこと遠くには飛ばず、櫓の中腹あたりでパサという音を立て、ズルズルと斜面を滑り落ちてしまうことが繰り返されます。こうなると櫓との根比べです。子ども達は幾度も滑り落ちてくる正月飾りを、負けじと一心不乱に、自分の身長の何倍もあろうかという、どんどやの天辺をめがけて振りかぶりました。

 白熱した正月飾り投げを済ませると、ブルーシートの上に座っている子ども達に凧が配られました。土手には凧を揚げに来ている人の姿があり、毎年いらっしゃる「凧揚げ名人」もお見受けしました。トンビ凧がまるで本物の凧のように空を舞っていて、子ども達は不思議そうにその様子を眺めていました。子ども達は自分で揚げるオリジナルの凧作りに取り掛かりました。寒さにかじかんだ手が思うように動かないことに加え、みんなが大好きなポンキーも冷気で硬くなってしまい、いつものような色が出ず不思議そうにしている子もいました。それでも、初めは真っ白だった凧が次第に、酉年にちなんだ鳥の絵や自分の似顔絵など、子ども達の手によって様々な色・絵柄で描かれ、それぞれに面白みのある十人十色の凧が出来上がりました。

 凧を作り終えると、河川敷という広い遊び場をいかし、サッカーや野球、鬼ごっこをして遊びました。みんなで一緒にサッカーをしていると、いきなりボールを手で持って元気よく走り去る子どももいました。外から見ていると、ラグビー校でのラグビー誕生の一場面のようにも見えました。
 体を思う存分動かした後、ついに自分達の凧を空へ飛ばす時がやって来ました。最初はなかなか揚がりませんでしたが、風の流れを考え、糸の長さを調節することで上手く揚げることができました。子ども達の手を離れて大空へと向かう凧、この時ばかりはこの日の寒風をありがたく思いました。子ども達が描いたいくつもの凧が、河川敷を縦横無尽に駆け回る子ども達のことを上空から見守っているようでした。

 凧を揚げながら縦横無尽に駆け回るということは、子ども達のタコ糸が縦横無尽に絡まる、ということも意味しています。毛玉のようになってしまった糸をほどくべく、満足げな表情を見せる子どもを横目に、問題解決に向けて多くの大人が動員されました。中にはせっかく自分で作った凧を、笑顔で引きずり回しながら全力で走っている子どももいて、思わずこちらも引き止めるよりも先に笑ってしまいました。
 凧揚げを終えると、今度はどんど焼きが始まります。係りのおじさんの掛け声とともに櫓の足元に火種が放たれ、勢いよく、言葉では形容しがたい太い音を立てながら茶色い煙を吐き出す炎となり、凧のように不規則な動きを見せながら上へ上へと昇り、櫓をあっという間にオレンジ色で包みました。周りを囲む多くの大人からは太い歓声が上がりました。しかしその時の子ども達は、目の前での恐ろしいほどに迫力がある出来事に、大声を上げて歓喜するという大人の予想を超え、目と口を開いてじっと眺めて驚いている様子でした。

 さあ、お昼ご飯の時間です。お母様が作ってくださったおいしいお弁当をいただきます。「すぐ横で燃え盛るどんど焼きを眺めながらのお食事!」、世界広しと言えども、このような謳い文句のお店はまずないでしょう。まったく貴重な経験です。食べ終わった子ども達は、再びサッカーや野球など各々好きに体を動かします。室内での遊びや活動もいいのですが、やはり屋外で元気に駆け回る純粋無垢な子ども達を見ると、改めて子どもらしさを感じます。駆け回る子ども達を横目に、元気な姿を見せていたどんど焼きは次第に火の勢いが弱まっていきました。
 残り火を利用して、今度は焼き芋づくりが始まりました。徐々に弱まっていく火の周りを、さつまいもをぶら下げた竿を持つ大勢の人が囲みます。この時はまるでそこが釣り堀のように見えました。そして係の人の合図と共に、そのさつまいもで頭が垂れた竿が下されます。後は辛抱強く出来上がりを待つのみです。残り火といっても、やはり周りに立つと熱さを感じるため、一時的ですが、この日の寒さを忘れることができました。

 円になって暖をとりながら焼き芋が出来上がるのを待っていると、試練がやって来ました。雨です。予報通り雨が降ってきてしまいました。子ども達はせっせと荷物をまとめ、カッパに身を包み、リュックを背負って帰路につきました。まだ遠足のしおりに今日のお絵描きをしていませんが、この天候です。後日お稽古の時間に皆で遠足のことを思い出しながら描くことにしました。子ども達は冷たい雨に打たれながら河川敷を走り抜け、鉄橋の下をくぐる度に訪れる「雨宿り」の時間をバス停までの原動力とし、雨と涙で顔をいっぱいにしながら懸命に列を作りました。鉄橋の下では単に休んでいるだけでなく、磯邊先生からの「雨宿り」(現代においては傘や電車、車などのおかげで聞く機会の少なくなった言葉)についての説明を、子ども達は一生懸命に自分の言葉にするべくカッパの下から聴いていました。

 蒲田駅からは帰りも多摩川線にお世話になります。しかしさすがの合唱団も疲弊しきったようで、帰りの車内では行きとは異なり落ち着いた様子の子ども達でした。
 多摩川駅に着き改札を出ると、お父様お母様の姿が見えます。しかしまだ解散ではありません。焼き芋のことをお忘れではないでしょうか。子ども達が河川敷に置いてきぼりにしたあの焼き芋、実はりさパパが雨に打たれながら、子ども達の代わりに居残りをして見守ってくれていました。お父様お母様にとっても半日ぶりに見ることのできた我が子の姿ですが、喜ぶ暇もなくあっという間に子ども達は駅の横にあるせせらぎ公園の待合室に吸い込まれてゆきました。その建物の中で子ども達が何をしていたのかというと、りさパパが急いで持って来てくれたまだ温かい焼き芋を、この遠足のシメとしてみんなで口いっぱいに頬張っていたのでした。ほっとするおいしさに、子ども達は笑顔になりました。

 自分がかつてサッカーや野球をしてお世話になったせせらぎ公園。まさかこういう形で再び訪れるとは思っていませんでした。自分は今でも体を動かすことが好きなようで、河川敷でのスポーツ大会では子ども達と一緒に無邪気に、彼らに負けじと全力になって戯れ、大きなお友達として一緒に楽しめました。
 火災の恐れにより、東京では地域によって江戸時代からどんど焼きは禁止され、それに追い打ちをかけるように少子化が到来し、都心部でのどんど焼きは廃れ始めている傾向が伺えます。しかし一方では地域の伝統行事を見直そうという動きもあり、今回、平成を生きる子ども達がそのような活動に参加できたことは貴重で、嬉しく思います。私自身にとっても今回は人生で初となるどんど焼きを、お手伝いを通じて体験でき、この機会を非常に有り難く感じました。
 年初恒例となっている一月の遠足、初詣・七草粥・子ども流鏑馬を締めくくるように今回の凧揚げ・どんど焼きを行いました。いずれも日本の伝統行事を体験することを目的とした遠足ですが、平成生まれの子ども達が成長し、新しい年号の子ども達が育つ時代にも、こうしたお正月の伝統行事を大切にしてくれていると良いなあと思っています。厳しい寒さのなかでもやるべきことを考えながらしっかりと遠足をやり遂げた子ども達。今年一年も元気に過ごせることでしょう。

磯邊季里 @ 2017年01月17日 21:09 コメント: (0)

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