<感想画コンクール>『夾竹桃物語~わすれていてごめんね』2019

2019年8月18日

今年は恭子先生ご本人から紙芝居を読んでいただき、お話の背景にある大人の我々でも一瞬目をそむけたくなるような、過去の資料を見ながら70年前に日本で起きた悲惨な出来事を学び、一人一人が感じた想いを感想画を描きました。受賞を果たしたYくんとともに平和祈念式典に出席されたお母様から寄せられたものをご紹介します。

8月5日。
気温37度の広島市内は息を吸うことも苦しい程の暑さでした。息子にとって初めて訪れる原爆ドーム。はやる気持ちを抑えきれず、歩くスピードはどんどん加速していきます。おりづるタワーの角を左折し目にした原爆ドームの姿に、「思ったより小さい…」とつぶやいた後、吹き出てくる汗を拭うことも忘れ、そのまま右回りに進み、自分の描いた絵の角度とは違った原爆ドームの姿を見ながら2人で1周しました。見上げると雲一つない青空…74年前もこのような美しい青空が広がっていたのでしょうか…。

先月中頃、『夾竹桃物語~わすれていてごめんね』感想画コンクールにて、息子の絵が入賞したとのご連絡が入りました。入賞者は8月5日~6日にかけて広島への一泊の旅と平和祈念式典への参加、感想絵画コンクールの表彰式へご招待いただけるとのこと。まさかの入賞に、息子と2人で呆然としてしまいました。
こちらのコンクールは、緒方俊平さんが書かれた『夾竹桃物語』を読んで感動した三重県四日市市の福田昇二さんが、多くの人に知ってほしいと2001年に創設され、その後毎年開催されているものです。対象者は全国、海外の園児~中学生で、『夾竹桃物語』を読んで感じたことを、絵画、感想文、書道で表現。毎年3000点ほどが寄せられています。
事務局の目的は、「子ども達の“平和を愛し、生きるもの全てを愛しみ、世界の平和を願い、地球環境を大切に護る”心を培うこと、動植物も被爆し人間の営みが自然環境にも影響を及ぼしていることを日本の子供達から世界の子供達に発信すること、さらに、広島平和記念公園に動植物の慰霊碑を建てること」とされています。
その思いがギュッと詰まった『夾竹桃物語』は、広島への原爆投下犠牲になった動物や植物たちのことが描かれた絵本です。原爆投下の後、70年間は草木が1本も生えないと言われていた荒野に、翌年花を咲かせ、今では広島市の花となった夾竹桃。その夾竹桃が語る被爆体験…1945年8月6日の出来事、自分を命がけで守ってくれた犬たちがいたこと、その後毎年行われている平和の集まりで人間のみがお参りされ動植物たちの慰霊碑はどこにもないこと…を聞いた1人の少年が、人間だけでなく動物も植物も原爆で命を落としていたことに気がつき、その気づきによって命あるものたちに希望が生まれました。

このお話をもとに、バンコク在住の画家・阿部恭子先生が紙芝居を描かれたことをきっかけに、昨年に続き今年もこひつじかいでは紙芝居を子ども達と一緒に読み、各々感じたことを恭子先生と話しながら絵で表現しました。平和な時代に生まれた子ども達にとって戦争のお話はあまりに非現実なのですが、このお話は子ども達が大好きなお花や犬、鳥や虫たちが登場するため、被爆の悲しみをとても身近に感じたようでした。そして、恭子先生の描かれる色彩豊かな動植物たちの絵は、生き生きとエネルギーに満ち溢れ、紙芝居を読み進めるほどに希望や生命力も伝わってきたようです。
こどもの様子とは対照的に、『夾竹桃物語』を初めて拝読したとき、戦火の中人間と同じ苦しみにあった動植物たちのことになぜこれまで気づくことができなかったのか…人間の慰霊碑はあるのに動植物の慰霊碑はない…なぜそのような当たり前に思いつくようなことに今まで疑問を持つことができなかったのか…母親として、そして1人の人間として、自分勝手な考えに大変恐ろしくなりました。

夜21時過ぎ、明日の平和記念式典と表彰式に参加する祖母もホテルにて合流。事務局のご配慮にて同室に宿泊させていただくことができました。息子と共に祖母へ恭子先生の紙芝居を読み、明日の早い起床時間に備えるため、まだまだ話したい気持ちを抑えながらの就寝となりました。

8月6日。
前日とは打って変わって、曇り空の朝となりました。5時半~の朝食でしたが、大きなシャンデリアが並ぶ大広間にてゆったりとした気分でいただくことができました。3人でスケジュールを何度か確認し、早めに食事を済ませ、1階の『夾竹桃物語』集合場所のカウンターへ。3グループに分かれ、スタッフの方にご引率いただきながら原爆ドーム前を通過。元安橋を過ぎたあたりからかなり混み合ってきたのですが、はぐれそうな時『夾竹桃物語』ポスターの旗が大変目印となりました。「74年前、今日みたいに雨だったら原爆は落とされなかったんだろうね。」「この元安川でたくさんの犬たちが死んでいったんだろうね」など祖母、息子と話しながら平和記念公園を目指します。少し風が吹き出したところ雨もポツリポツリと…。「原爆が落ちた後は、黒い雨が降ったのよ。放射能が含まれていたから、その雨を浴びると肌にブツブツの斑点がでたり、髪の毛が抜け落ちたり…原爆症になったのよ」と。息子は「魚たちもかわいそうだね」と。人間の手によって作られた原爆で、命あるもの全てが死滅してしまう。自然を破壊し、生態系を破滅させる。そんな恐ろしいモノがこの地球にあることは断じてならないと心から思いました。
8時00分、令和元年の平和祈念式典が開式しました。原爆死没者名簿奉納、広島市議会議長の式辞、献花を終え、8時15分、黙祷。そして平和の鐘が鳴り響きました。次に、松井一実広島市長の平和宣言では「自国第一主義が台頭し、核兵器廃絶への動きも停滞している」と指摘しつつ、ガンジーの言葉を引用しつつ『寛容』な心を持つことを訴えらえていました。放鳩で一斉に鳩が飛び立った後、2名のこども代表による「平和への誓い」。一言一言ゆっくりと大きな声で伝えられていました。安倍晋三内閣総理大臣のごあいさつを拝聴し、「夾竹桃物語」グループの集合場所へと移動しましたが、その後は、湯崎英彦広島県知事、アントニオグレテス国連事務総長のごあいさつが続いていました。
雨脚が強くなる中、原爆ドーム前まで急ぎこどもたちの写真撮影。雨に濡れながらもスタッフの方が一生懸命にこどもたちを整列させてくださっていました。ホテルまでの帰り道、息子は「自分の周りを大事にすることが平和につながるんだね。お友達、先生、家族、、」と。平和について少しでも心に引っかかってくれている様子を嬉しく思いました。

大雨の中ホテルへと戻り、濡れた髪を乾かし、正装へと着替え表彰式会場へ。金屏風で彩られた華やいだ雰囲気の中、受付を済ませ席順を確認したところ、著者の緒方俊平先生のななめ後ろに座ることとなった息子に緊張感が走りました。自分以外の方が表彰されているときも、フラフラせずしっかり見て聞くことなど話してから笑顔で会場へ入りました。こどもは真ん中より前列、親は後列で見守ります。どの賞をいただけるのかは表彰式時に初めてわかるため、自分の名前が呼ばれるまではドキドキした状態…やっと名前がよばれ、舞台に上がれた息子はかなり緊張した面持ちでした。息子は「優秀賞」を頂戴しました。驚きと嬉しさがこみ上げ、祖母と2人して感無量でした。こひつじかいにて4歳の頃から早6年。たくさんの種を蒔いていただき、大切な仲間と共に切磋琢磨できますことに心より感謝の気持ちでいっぱいになりました。少しずつ出てきた芽をそのままに伸ばしていけるよう見守ってまいりたく存じます。最後に皆で集合写真をとり、記念品としていただいた絵本に緒方俊平さんのサインをいただきました。

午後になり、雨は上がり再び曇り空へ。ホテルの方におすすめされた元安川オープンカフェでランチをいただいた後、原爆の子の像を通り、原爆死没者慰霊碑を参拝。慰霊碑から平和の灯を経て見える原爆ドームに手を合わせながら、悲惨な過去から目を背けず平和を祈ることが未来の笑顔につながっていく、そしていつか動植物の慰霊碑が建つことを息子とともに願いました。
その後、今年の春にリニューアルされた平和記念資料館へ。自国ファーストで、核にたいする規制が緩和されつつある今、日本もよいことのための核使用は良しとしていましたが、東日本大震災を通じて核の恐ろしさを再確認した日本が、世界にむけて核廃絶を強く訴える役割を担っていると痛感しました。
最後に、午前中雨のため撮影できなかった夾竹桃の木の前で写真を撮りました。木に触れ、気づかなくて本当にごめんねと心の中で唱えました。祖母から私へ、私から息子へ。大切に引き継がれていく命のバトンは、人間も動植物も同じ重みであることを、これからもこどもたちとともに話してまいります。

磯邊季里 @ 2019年08月18日 13:14 コメント: (0)

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