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<こひつじかい>箱根一周の旅

2019年8月29日 / 未分類

東京には青空が広がる今日は、箱根遠足です。
新宿駅に集合し、約1時間半、ロマンスカーに乗って箱根に向かいます。新宿駅での保護者の方とのお別れに涙を浮かべていた子も、1号車の特権である進行方向の大きな窓から見える景色に大喜び。すぐに元気いっぱいな声が飛び交ってきました。車内では、しおりの1ページ目に今まさに乗っているロマンスカーの絵を描きました。みんな赤い車体を丁寧に描き、窓から見える空や川も上手に表現していました。
ロマンスカーの旅は、電車が大好きなGくんによる生解説のおかげで、楽しさが倍増!通る駅、すれ違う電車、ロマンスカーの種類など次から次へと溢れ出す知識には脱帽でした。

箱根湯本に着くとバスに乗り、海賊船乗り場へ。芦ノ湖では小雨が降り、湖が荒れていたため運休になるのではと一瞬ヒヤリとしましたが、霧の中から海賊船ロワイヤル2が無事に姿を見せました。
早速ロワイヤル2に乗り込むと、子どもたちは宝探しに探検にと元気いっぱい駆け回っていました。階段では年長さんが年少さんに声をかけ、助けてあげる場面も見られました。
一番上まであがるとしっかり踏ん張っていないとよろけるほどの強風でさすがに一旦退散です。10分ほどしてもう一度上がってみると、波も風もどこへいってしまったのか穏やかな世界に一変、自然の不思議を肌で感じました。

桃源台港に到着した後、ケーブルカーに乗るために早雲山へ。箱根山の噴火警戒レベル2の区域内のため、残念ながらロープウェイが運休だったのでバスで移動します。ホームも線路も斜面につくられた、ケーブルカーで強羅へ向かいます。線路が二列になったり一列になったりの変化に子どもたちは声を上げて面白がっていました。
強羅で登山電車に乗り換え、緑に囲まれた線路を進んでいきます。途中途中で車掌さんが出てきて、実際使っている帽子をかぶせてくださったり、登山電車の秘密を沢山教えてくださるので子ども達もどんどん登山電車の魅力に引き込まれていきました。私たちの乗った車両は、冷房もなく昔の雰囲気漂う車両だったので伺うと、大体70歳くらいの車両だと教えてくださいました。それを聞いた子ども達は「ずいぶんおじいさんの電車だね」など感想を口にしていました。

登山電車を降り、生命の星、地球博物館へ。
博物館の入り口の前に着くと、どこからか「やっほ〜!」という声が聞こえてきました。不思議に思いながらも「やっほ~!」とお返事。
すると「返ってきた!!!」とケラケラ笑う声がして、また上の方から「やっほー!」
すかさずこちらも「やっほー!!」
「やまびこさーん!」「やまびこさーん!」
姿の見えない相手との遊びが自然と始まりました。
永遠に続くのでは?と思うほど、楽しそうな声が行き交い続けます。
ようやく「バイバーイ!」「バイバーイ!」
最後に上から声の正体がひょっこり顔をのぞかせました。1,2年生くらいの遠足かなと想像していたのですが、実際は5,6年生くらいのお兄さんとお姉さんたちでした。
見ず知らずの人と「声」というツールだけで一瞬にして仲良く遊べる。これこそコミュニケーションの核だと再認識しました。

中に入ると、あちらこちらから「地球だ!!」「火星、土星もある!」と興奮の声があがります。この夏の講習では宇宙・地球から始まり、大陸や国、自分の住む町、家族と少しずつイメージを繋げてきました。博物館の迫力ある展示をきっかけに子ども達の中で生きた知識として根付けばという思いで、今年はここに立ち寄ることにしていました。地球や他の星の展示、昆虫の標本、恐竜や動物たちの展示が所狭しと並んでいるので、同じ空間にいても見ているものは千差万別です。自分の好きなものを発見した子は、吸い込まれそうなほど夢中になって、次々とエピソードを話してくれながら見て回りました。

箱根湯本に戻る前に、ご家族あてに描いた思い出の絵葉書を投函。
出発前に念入りに確認した住所と家族の名前、、葉書は無事にお家へ届くでしょうか。

帰りのロマンスカーでは、運転手さんが二階にある運転席に登る貴重姿を見ることができました。おやつを食べながら、新宿まで1時間半、おしゃべりが止まず、みんな楽しく過ごすことができました。

<Super long ride 2019>東京~軽井沢チャレンジ

2019年8月18日 / 未分類

昨年から始まったSuper long ride、斑尾キャンプでのヒルクライムで終わることなく夏休みの連休を利用して更なる挑戦をしてきた子たちがいます。
ご自身も子ども達に寄り添い、ともに走り切った保護者の方がその時の様子を伝えてくださったので、ご紹介します。
 
これまで8回に及ぶロングライド練習に、夏キャンプの後の斑尾~妙高のヒルクライム、さらには各自で自主的な練習を重ね、いよいよ楽しみにしていた2日間200キロ東京~軽井沢へのチャレンジの日がやって参りました。


1日目
朝の5時過ぎからぞくぞくと出発地の葛西臨海公園に集まって参ります。
早朝とは思えないほど、子供達の顔はこれからのチャレンジへの期待で溢れていました。
これまでの練習の成果か、素早く身支度をすませます。
200キロという距離、これからどんな試練が待っているのか、子供達はもちろんですが、親の私も正直ピンと来ておりませんでした。
出発前に、再度ロングライドにおいてのお約束を確認しいよいよ出発です。
朝の涼しいうちに暑さの逃げ場のない荒川サイクリングロードを抜けるため、時速20キロで漕ぎ進めます。最年少チームも必死について行きます。
練習に訪れた荒川サイクリングロードの見慣れた景色に子供達の足も軽快です。
問題なく第一チェックポイントの扇大橋をすぎ、次は秋ヶ瀬橋を渡りさいたまの市街地へ入ります。この日の気温は最高35℃。
お昼ご飯のお蕎麦屋さんを目指し出発です。
試練はここからでした。
燦々と後頭部に降り注ぐ太陽。サイクリングロードとは違い細く凸凹した道にタイヤをとられ転倒、信号の度に前の人との間隔が空いてしまい、子供達の疲労もピークに。最年少チームは眠いと泣き出す子、転ぶ度に涙する子が続出。正直私も暑さが辛く、心が折れそうになっていました。しかし、泣きながらも懸命にペダルを漕ぐ続ける子供達。そして、遅れてしまう子が信号で追いつきそうになると「K君来たよ!頑張れ~」と声援を送る姿も見られ、互いに励まし合いました。
美味しいお蕎麦をペロリと頂き、涼ませて頂くとパワー満タンと言わんばかりに遊び始めます。
気合いを入れ直し本日の宿泊場所熊谷を目指します。暑さとの戦いは続きますが、ここからは伴走車のお父様、お母様の気遣いに本当に救って頂きました。
途中途中で待っていて下さり、水鉄砲で冷たい水をかけてくれたり、信号待ちの隙に頭に氷をのせてもらったりビデオをとってもらったりと子供達は大喜び!!車で横を通るたびに大きな声であと少しで休憩だよ!!と子供達を盛り上げ、何度も何度も背中を押してもらい足を止める事無くチェックポイントを目指すことができました。
予定より30分ほど遅れましたが全員無事にホテルに到着。
お風呂に入りさっぱりするとまたまたはしゃぐ子供達。近くの公園で伴走車のお父様が夕食の買い出しと花火が真正面に見える特等席を準備して待っていて下さりました。目の前に広がる大きな花火は今日頑張った子供達へのご褒美のようでした。

2日目
翌日、5時には身支度を済ませ皆がロビーに集まりました。
さすがこひつじかいの子供達、眠そうな子はおらず皆軽井沢に向けて気合いたっぷりです。
綺麗な朝焼けに見送られ、群馬県を抜け軽井沢へ向け漕ぎ出します。朝の涼しいうちに市街地を抜けだすために今日も懸命に漕ぎ続けます。大人は国道の標識に軽井沢の文字が見えてくるとようやくゴールが近づいてきたと胸が高鳴りました。
碓氷川近辺で何度か橋を渡る際に自転車をおりて押さなければならない場面がありました。
手伝おうと準備万端の大人はそっちのけに、皆重たい自転車を自分で運んでいました。
幼稚園チームも皆自分でやるから大丈夫!!と、下り階段も自分で押して降りてきます。大人が気がつかないうちに子供達はきちんと成長していると胸が熱くなりました。
少しずつAチームとの距離が開いて行きます。しかし明るいCチーム、チェックポイントの度にレジャーシートに座り込み、楽しくおしゃべりしながら栄養補給を欠かしません。この明るさが、試練を乗り越えるための秘訣だったのかもしれません。
お昼の釜めし屋さんまであと5キロの緩やかで長い坂道が子供達には辛く、小学生でも涙ぐむ場面があったそうです。あと少しと声を掛け合いようやく先に到着していたお兄さん達の姿が目に入りほっとしました。
釜めしを食べ、十分に水分を補給しいよいよ最後の難関碓氷峠に挑みます。
出発前に、「対向車、後ろからの車を仲間に伝える事、前と離れないこと。」をお約束し「頑張るぞ、オー!!」の掛け声とともに出発です。大人の心配をよそに子供達は「この前登り切ったから大丈夫という。」みなぎる自信で溢れていました。
始めの10カーブほどはペースがつかめませんでしたが、太田先生に「坂道がきつくなったら立ち漕ぎしてごらん!」とアドバイスをもらうと、コツをつかみどんどん自分達のちからで山道を登って行きます。100カーブでは、最年少K君の姿が見えてくると子供達が走り駆け寄り声援を送る姿にこちらが泣きそうになりました。途中猿やキツネにも遭遇しパワーをもらい、何度も涙は見せますがやめるという子は一人もおらず、ほとんど背中を押すことなく183カーブを登り切りました!
夕食にはおいしいBBQをほおばり、花火をして最高の夏の思い出を作ることが出来ました。

今回のチャレンジがどれほど凄い事なのか、子供達にもまだピンと来ていないような気がします。しかし、足を止める事なく漕ぎ続ければ大きな試練をも乗り越えられるのだと実体験した子は、今後成長過程で目の前に立ちはだかる大きな壁も今回の自信を土台として力強く乗り越えて行けると信じております。

常識をブレイクスルーするとういう開催趣旨のもとはじまったロングライドチャレンジ。
一緒に体験し感じた事は、子供に手を貸す事は簡単、しかし本の少しのアドバイスと後は子供の能力を信じて見守ってあげる事の難しさでした。私の人生でここまで寄り添い、物事を一緒に成し遂げて下さる人達に今まで出会ったことがありませんでした。
このチャレンジは家族だけでは達成できなかったと思います。
子供の可能性を信じ、限界までチャレンジする環境を与えて指導して下さった、磯邊先生をはじめこひつじかいの指導者の皆様、勝又さん、林さん、太田さん、新川さん、そして参加し支えて下さったすべての保護者の皆様、頑張り抜いた子供達に心より感謝いたします。
来年のより大きなチャレンジに向け、また家族一同頑張って参ります。

<感想画コンクール>『夾竹桃物語~わすれていてごめんね』2019

2019年8月18日 / 未分類

今年は恭子先生ご本人から紙芝居を読んでいただき、お話の背景にある大人の我々でも一瞬目をそむけたくなるような、過去の資料を見ながら70年前に日本で起きた悲惨な出来事を学び、一人一人が感じた想いを感想画を描きました。受賞を果たしたYくんとともに平和祈念式典に出席されたお母様から寄せられたものをご紹介します。

8月5日。
気温37度の広島市内は息を吸うことも苦しい程の暑さでした。息子にとって初めて訪れる原爆ドーム。はやる気持ちを抑えきれず、歩くスピードはどんどん加速していきます。おりづるタワーの角を左折し目にした原爆ドームの姿に、「思ったより小さい…」とつぶやいた後、吹き出てくる汗を拭うことも忘れ、そのまま右回りに進み、自分の描いた絵の角度とは違った原爆ドームの姿を見ながら2人で1周しました。見上げると雲一つない青空…74年前もこのような美しい青空が広がっていたのでしょうか…。

先月中頃、『夾竹桃物語~わすれていてごめんね』感想画コンクールにて、息子の絵が入賞したとのご連絡が入りました。入賞者は8月5日~6日にかけて広島への一泊の旅と平和祈念式典への参加、感想絵画コンクールの表彰式へご招待いただけるとのこと。まさかの入賞に、息子と2人で呆然としてしまいました。
こちらのコンクールは、緒方俊平さんが書かれた『夾竹桃物語』を読んで感動した三重県四日市市の福田昇二さんが、多くの人に知ってほしいと2001年に創設され、その後毎年開催されているものです。対象者は全国、海外の園児~中学生で、『夾竹桃物語』を読んで感じたことを、絵画、感想文、書道で表現。毎年3000点ほどが寄せられています。
事務局の目的は、「子ども達の“平和を愛し、生きるもの全てを愛しみ、世界の平和を願い、地球環境を大切に護る”心を培うこと、動植物も被爆し人間の営みが自然環境にも影響を及ぼしていることを日本の子供達から世界の子供達に発信すること、さらに、広島平和記念公園に動植物の慰霊碑を建てること」とされています。
その思いがギュッと詰まった『夾竹桃物語』は、広島への原爆投下犠牲になった動物や植物たちのことが描かれた絵本です。原爆投下の後、70年間は草木が1本も生えないと言われていた荒野に、翌年花を咲かせ、今では広島市の花となった夾竹桃。その夾竹桃が語る被爆体験…1945年8月6日の出来事、自分を命がけで守ってくれた犬たちがいたこと、その後毎年行われている平和の集まりで人間のみがお参りされ動植物たちの慰霊碑はどこにもないこと…を聞いた1人の少年が、人間だけでなく動物も植物も原爆で命を落としていたことに気がつき、その気づきによって命あるものたちに希望が生まれました。

このお話をもとに、バンコク在住の画家・阿部恭子先生が紙芝居を描かれたことをきっかけに、昨年に続き今年もこひつじかいでは紙芝居を子ども達と一緒に読み、各々感じたことを恭子先生と話しながら絵で表現しました。平和な時代に生まれた子ども達にとって戦争のお話はあまりに非現実なのですが、このお話は子ども達が大好きなお花や犬、鳥や虫たちが登場するため、被爆の悲しみをとても身近に感じたようでした。そして、恭子先生の描かれる色彩豊かな動植物たちの絵は、生き生きとエネルギーに満ち溢れ、紙芝居を読み進めるほどに希望や生命力も伝わってきたようです。
こどもの様子とは対照的に、『夾竹桃物語』を初めて拝読したとき、戦火の中人間と同じ苦しみにあった動植物たちのことになぜこれまで気づくことができなかったのか…人間の慰霊碑はあるのに動植物の慰霊碑はない…なぜそのような当たり前に思いつくようなことに今まで疑問を持つことができなかったのか…母親として、そして1人の人間として、自分勝手な考えに大変恐ろしくなりました。

夜21時過ぎ、明日の平和記念式典と表彰式に参加する祖母もホテルにて合流。事務局のご配慮にて同室に宿泊させていただくことができました。息子と共に祖母へ恭子先生の紙芝居を読み、明日の早い起床時間に備えるため、まだまだ話したい気持ちを抑えながらの就寝となりました。

8月6日。
前日とは打って変わって、曇り空の朝となりました。5時半~の朝食でしたが、大きなシャンデリアが並ぶ大広間にてゆったりとした気分でいただくことができました。3人でスケジュールを何度か確認し、早めに食事を済ませ、1階の『夾竹桃物語』集合場所のカウンターへ。3グループに分かれ、スタッフの方にご引率いただきながら原爆ドーム前を通過。元安橋を過ぎたあたりからかなり混み合ってきたのですが、はぐれそうな時『夾竹桃物語』ポスターの旗が大変目印となりました。「74年前、今日みたいに雨だったら原爆は落とされなかったんだろうね。」「この元安川でたくさんの犬たちが死んでいったんだろうね」など祖母、息子と話しながら平和記念公園を目指します。少し風が吹き出したところ雨もポツリポツリと…。「原爆が落ちた後は、黒い雨が降ったのよ。放射能が含まれていたから、その雨を浴びると肌にブツブツの斑点がでたり、髪の毛が抜け落ちたり…原爆症になったのよ」と。息子は「魚たちもかわいそうだね」と。人間の手によって作られた原爆で、命あるもの全てが死滅してしまう。自然を破壊し、生態系を破滅させる。そんな恐ろしいモノがこの地球にあることは断じてならないと心から思いました。
8時00分、令和元年の平和祈念式典が開式しました。原爆死没者名簿奉納、広島市議会議長の式辞、献花を終え、8時15分、黙祷。そして平和の鐘が鳴り響きました。次に、松井一実広島市長の平和宣言では「自国第一主義が台頭し、核兵器廃絶への動きも停滞している」と指摘しつつ、ガンジーの言葉を引用しつつ『寛容』な心を持つことを訴えらえていました。放鳩で一斉に鳩が飛び立った後、2名のこども代表による「平和への誓い」。一言一言ゆっくりと大きな声で伝えられていました。安倍晋三内閣総理大臣のごあいさつを拝聴し、「夾竹桃物語」グループの集合場所へと移動しましたが、その後は、湯崎英彦広島県知事、アントニオグレテス国連事務総長のごあいさつが続いていました。
雨脚が強くなる中、原爆ドーム前まで急ぎこどもたちの写真撮影。雨に濡れながらもスタッフの方が一生懸命にこどもたちを整列させてくださっていました。ホテルまでの帰り道、息子は「自分の周りを大事にすることが平和につながるんだね。お友達、先生、家族、、」と。平和について少しでも心に引っかかってくれている様子を嬉しく思いました。

大雨の中ホテルへと戻り、濡れた髪を乾かし、正装へと着替え表彰式会場へ。金屏風で彩られた華やいだ雰囲気の中、受付を済ませ席順を確認したところ、著者の緒方俊平先生のななめ後ろに座ることとなった息子に緊張感が走りました。自分以外の方が表彰されているときも、フラフラせずしっかり見て聞くことなど話してから笑顔で会場へ入りました。こどもは真ん中より前列、親は後列で見守ります。どの賞をいただけるのかは表彰式時に初めてわかるため、自分の名前が呼ばれるまではドキドキした状態…やっと名前がよばれ、舞台に上がれた息子はかなり緊張した面持ちでした。息子は「優秀賞」を頂戴しました。驚きと嬉しさがこみ上げ、祖母と2人して感無量でした。こひつじかいにて4歳の頃から早6年。たくさんの種を蒔いていただき、大切な仲間と共に切磋琢磨できますことに心より感謝の気持ちでいっぱいになりました。少しずつ出てきた芽をそのままに伸ばしていけるよう見守ってまいりたく存じます。最後に皆で集合写真をとり、記念品としていただいた絵本に緒方俊平さんのサインをいただきました。

午後になり、雨は上がり再び曇り空へ。ホテルの方におすすめされた元安川オープンカフェでランチをいただいた後、原爆の子の像を通り、原爆死没者慰霊碑を参拝。慰霊碑から平和の灯を経て見える原爆ドームに手を合わせながら、悲惨な過去から目を背けず平和を祈ることが未来の笑顔につながっていく、そしていつか動植物の慰霊碑が建つことを息子とともに願いました。
その後、今年の春にリニューアルされた平和記念資料館へ。自国ファーストで、核にたいする規制が緩和されつつある今、日本もよいことのための核使用は良しとしていましたが、東日本大震災を通じて核の恐ろしさを再確認した日本が、世界にむけて核廃絶を強く訴える役割を担っていると痛感しました。
最後に、午前中雨のため撮影できなかった夾竹桃の木の前で写真を撮りました。木に触れ、気づかなくて本当にごめんねと心の中で唱えました。祖母から私へ、私から息子へ。大切に引き継がれていく命のバトンは、人間も動植物も同じ重みであることを、これからもこどもたちとともに話してまいります。

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